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ブログ13: カルチャーショック

僕は一昨年、僕の恩師であり、僕のピアノに凄く影響を与えたロシア人の先生にと二週間、地獄の修練をするため中国の蘇州市に行きました。僕の先生は、蘇州大学で新しく創立した音楽部の教授でした。中国に行ったことがなかった僕にとっては、凄い冒険の旅でした。 幸いに、僕が尊敬している先輩も蘇州にいました。その先輩はUSCから卒業してから、尊敬する先生について行った、兄弟子みたいな人です。 先輩のおかげで、過ごした時間が寂しくはなかったです。 ある日、その先輩と昼飯を食べに安いレストランへ行きました。そのレストランは主に蘇州大学の学生を対象としたレストランで、高くはなかった一方、綺麗でもなかったです。 食べ物を注文してから、先輩はいきなりタバコに火をつけました。驚いた僕は、「先輩、ここ室内ですよ、タバコ吸っちゃいけません」と言うと、「構わない」と答えながら吸い続きました。慌てて、僕は「灰皿わどうしますか。吸いたいなら外、行ってらっしゃい」と言うと、再び「構わない」と言い返しました。「いや、構いますよ、絶対構いますよ、店員さんがきっと困りますって」と言うと、「うるさいな」って答えて、店員さんを呼んで、タバコを振りながらOKサインをすると、店員さんもOKサインを送ってくれました。驚いた僕は、「...でも、灰皿は...」と小さく言うと、何も言えず、ゆかにタバコを捨てて、踏みました。床に捨てられた吸い殻がたくさんあったのを気づき、そのレストランではみんな喫煙する、そして吸ったタバコは床で捨てることを分かりました。忘れられないカルチャーショックでした。

簡単なT-Shirtの畳み方

これから簡単なT-Shirtの畳み方を説明します。 先ず、tshirtを平らな所に襟首を自分左に向いて置き、皺を伸ばします。 次に、肩の部分をを左手で摘んで、摘んだ所からシャツの真ん中の所を右手で摘みます。 それから、両手でT-Shirtをちゃんと摘みながら、左手を右腕の下に動いてT-Shirtの裾も摘みます。 最後に、両手を戻しながらシャツを持ち上げて、綺麗に畳みます。 このままでもいいし、もう一度半分にたたんでもいいです。

招き猫

僕の母は骨董品が好きなので、小さい頃から沢山の骨董品のお店に母と一緒に行きました。母は主に西洋の家具に興味を持ったんですが、僕は東洋の骨董品に興味を持つようになりました。僕の好みのせいか、僕の家には西洋の古い家具と共に、韓国の伝統工芸品の茶碗や他のものがあります。韓国にいる姉が時々プレゼントとして送ってくれます。 日本の伝統工芸品について授業で習って、日本の伝統工芸品にも興味があるようになりましたが、僕はその中でも「招き猫」に興味があります。招き猫は本当に有名で、日本人が運営するお店だけでなく、中国、韓国、ベトナム人のお店でも見える「運」の象徴です。勿論、僕が見た招き猫はほとんど「工芸品」とは言えません。皆多分工場で作られた物です。だから、招き猫は伝統工芸品だと読んで、驚きました。実際の手作り招き猫は見たことがないので、もし日本に行ったら、是非見て見たいんです。おそらくとても美しくて、今まで見て来た招き猫とは違うでしょう。

ホットドッグ

アメリカの定番料理であるホットドッグは面白い歴史があります。先ず、ホットドッグを語る前に、主材料のソーセージについて調べましょう。ソーセージに似ている食べ物は色々な文化で見えますが、ヨーロッパ的ソーセージはローマ帝国のネロ皇帝のガイウスという料理人によって始まったといいます。その時代の習慣は、豚を殺す前に一週間何も食べさせないことでした。ある日、ガイウスは厨房で内臓を取り出していなかったまま焼いている豚を見つけて、人が食べられるかどうか確認しにナイフで豚の腹を切ってみました。そうしたら、豚の内臓が出てきましたが、一週間何も食べなかったため内蔵が空っぽで、火の熱のため膨らんでいました。それを見たガイウスは空っぽな内臓に肉とかスパイス、穀物を入れる発想をして、それが西洋の初めてのソーセージでした。 そのあと、ソーセージっていう料理はヨーロッパ中広がりましたが、ドイツがそれを発達して、国の代表的な料理としました。ドイツの中でもでもフランクフルトとウィーンがソーセージの地元だと言われて、ソーセージを「フランクフルター」と「ウィンナー」っとも呼ぶ理由です。 で、ソーセージをパンに入れて「ホットドッグ」という料理を初めて作ったのはアメリカのポーランド出身の移民でした。その時は1915であり、20、30年代にはホットドッグは既に全国的に広がって、アメリカの定番料理になりました。現在、ホットドッグは作りやすいし、美味しいし、食べやすくて簡単な料理であるため、アメリカのどの町へ行っても売れる食べ物です。野球場から劇場、家庭でまで食べられうアメリカの定番料理です。

僕が好きな人物

僕が好きな歴史的な人物は安昌浩(アン・チャンホ)です。ロサンゼレスに住んでいる皆さんはその名を郵便局でも、フリーウェイでも、USCのキャパンスの中でも見たことがあるはずです。安昌浩は韓国人の独立運動化で、今の韓国が日本の植民地だった時、武力じゃなくて言葉で戦った人物でした。安昌浩は、30歳が過ぎてアメリカへ亡命して、アメリカの子供と一緒に学校へ通って英語を勉強しました。「学びには恥がない」って言いながら、大人だったのに英語を学ぶため学校へ通っていました。その心構えを僕はとても尊敬して、自分の心構えも同じようにしたいんです。 安昌浩はそれから韓国に帰って、独立運動家として活躍しました。安昌浩の色々な名言の中でも一番好きな名言は、監獄に訪ねに来た日本人の検事が「貴方は日本帝国の実力を知っていないか」って聞いた時の返事です。安昌浩は、「私は日本の実力をよく知っています。今時、アジアの中で一番強い武力を持っている国です。私は東洋人の名誉のため、日本がその一番強い武力と共に強い道徳力を持って欲しいです。日本が滅ぼさなくて、いい国になるのを心の奥底から欲しがっています。隣の国である大韓を踏み潰すのは日本にとって利益にならないはずです。日本を恨む2000万を国民を強制的に日本帝国に入れるより、仲良しの2000万を隣の国民とするのが日本にとって利益であるはずです。つまり、大韓の独立を主張するのは東洋の平和だけでなく、日本の福利までのためです。」 平和主義だった安昌浩は、韓国でも日本でも高く平価されているそうです。日韓関係が悪化されている今、安昌浩のような人物が必要だと思います。

カナリア、ラジオ、そして感動

皆さん、「カナリア」っていう黄色い鳥を知っていますか。昔は「カナリア」をペットとして飼った家庭が多かったんですが、最近はあまり人気なペットではありません。どうしてそうなんでしょうか。ある学者によると、昔カナリアの人気が始まった理由はカナリアの美しい鳴き声が静かな日常の退屈さを楽しくしてあげるからです。ラジオが発達されていなかった昔は、カナリアは家に残って家事をする主婦たちにとても人気なペットでした。 でも今頃はどうですか。ラジオから初めて、様々な録音技術が発達されて、僕らは逆の場合に置かれたそうです。どこへ行っても、どこにいても、音楽から逃げ出せません。車の中でも、レストランの中でも、パソコンでも携帯でも音楽が聞こえます。カナリアの存在の理由がなくなかったわけです。  物の数が多いと、価値が下がるのは経済の基本の論理です。昔はあるバンドや音楽家が町に来ると、町の皆がライブに行きたかったのでチケットがまもなく売り切ったんですが、「音楽」の価値が下がった現在は、誰がコンサートをしても、大ファン以外はよく行きません。パソコンや携帯などで、それも無料で聴ける音楽を、わざわざお金を払って、時間をかけてライブに行く理由がありません。 つまり、ラジオやほかの録音技術は、「音楽」を誰でも、どこに住んでも楽しめるようにしてあげた一方、音楽から受ける感動を下げたんです。 その感動を感じるためには、コンサートへいくべきだと思います。モナ・リザの写真を見ることと、パリへ行って本物の見ることはとても違います。完璧なアルバムを聴くことと、即興的にメロディーや和音を崩れたりして グルーヴに体を任せて演奏するバンドを聴くことも全然違います。皆さんもコンサートへよくいって、失った音楽の感動を再び見つけたらどうですか。 

僕がよく行く店

僕は高校時代から日本語を勉強していました。先生は二年間日本語の基礎、つまり平仮名、片仮名、文法や少しの漢字を教えてくれてから、「独学」を強調しました。言語の学びには、授業や宿題以外にも自分の努力で興味ある読み物などを探して勉強しなければいけないって言われた。高校生の財布にもやさしい価格で日本語の本が買える古本屋、「BOOK・OFF」を勧め、それが僕の今までの独学旅行の始まりになったのです。 「BOOK・OFF」は古本屋で、普段、輸入の過程に色々な税金が付けられて高い価格に売られる新品の本より安い価格で古本が買える店です。アメリカの古本屋に行くと、本がボロボロになっている場合が多いが、「BOOK・OFF」の古本はほぼ新品の状態の古本が多いので、古本屋とは全然思えないくらいです。 最初に「BOOK・OFF」へ行った時は、「いつもテストは百点満点だから、きっと何でも読める!」って甘すぎる思いで入ったんですが(残念ながら、テストの成績はよかったにもかかわらず、あの時から僕は「宿題」は苦手なんでした)、どんな本でも難しい漢字ばかり、振り仮名が載っているマンガも単語が難しすぎて全然読めませんでした。すごいショックを受けて、「小学生が読めるマンガさえ僕は読めないんだ!」と思って、教科書と実践は違うものだと気づきました。それから数年が過ぎ、頑張って諦めずに勉強した結果、まだまだだけど少しずつ日本語が上達して、色んな本が読めるようになりました。マンガの一ページも読めなかった僕が、アルファ碁の活躍を聞いて囲碁に興味を持つようになって、囲碁の入門の本を買おうと思った時、母国語の韓国語ではなく、日本語で書かれた本を買うほど自信が増えました。