カナリア、ラジオ、そして感動
皆さん、「カナリア」っていう黄色い鳥を知っていますか。昔は「カナリア」をペットとして飼った家庭が多かったんですが、最近はあまり人気なペットではありません。どうしてそうなんでしょうか。ある学者によると、昔カナリアの人気が始まった理由はカナリアの美しい鳴き声が静かな日常の退屈さを楽しくしてあげるからです。ラジオが発達されていなかった昔は、カナリアは家に残って家事をする主婦たちにとても人気なペットでした。 でも今頃はどうですか。ラジオから初めて、様々な録音技術が発達されて、僕らは逆の場合に置かれたそうです。どこへ行っても、どこにいても、音楽から逃げ出せません。車の中でも、レストランの中でも、パソコンでも携帯でも音楽が聞こえます。カナリアの存在の理由がなくなかったわけです。 物の数が多いと、価値が下がるのは経済の基本の論理です。昔はあるバンドや音楽家が町に来ると、町の皆がライブに行きたかったのでチケットがまもなく売り切ったんですが、「音楽」の価値が下がった現在は、誰がコンサートをしても、大ファン以外はよく行きません。パソコンや携帯などで、それも無料で聴ける音楽を、わざわざお金を払って、時間をかけてライブに行く理由がありません。 つまり、ラジオやほかの録音技術は、「音楽」を誰でも、どこに住んでも楽しめるようにしてあげた一方、音楽から受ける感動を下げたんです。 その感動を感じるためには、コンサートへいくべきだと思います。モナ・リザの写真を見ることと、パリへ行って本物の見ることはとても違います。完璧なアルバムを聴くことと、即興的にメロディーや和音を崩れたりして グルーヴに体を任せて演奏するバンドを聴くことも全然違います。皆さんもコンサートへよくいって、失った音楽の感動を再び見つけたらどうですか。